いざね’s エッセイ      
 
         このページでは、「いざね」が日常 感じたことや、みなさんに伝えたいこと
       などを 手紙という形を借りて 書き綴っていきます。
       「君へ」の 君が 誰なのかは みなさんの想像に おまかせします

君への 手紙
         
         ※ おもいっきり 不定期に更新しています、思いだしたときにでも のぞいてみてください。
            このページだけは ちょっと濃い目でいきますね。
 
一つ後へ
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一つ前へ
一つ前へ

2005年01月06日
(9通目)

2005年 最初の手紙です。

昨年末から 急に寒くなったけど、体調くずしたりしてない?
俺のほうは、ここのところ寒さに負けっぱなし(苦笑) 外出するのが おっくうで 
引きこもりぎみです。今日は、ある人から言われたことで、ちょっと心に引っ掛かった
言葉があったんで、手紙書いてます。

その言葉は、「あなたは やさしいから」 って一言。

君は やさしさって 何だと思う?  実は 俺、いまだに この やさしい って意味が
よく わからないでいるんやけど・・・。

「やさしい」って 人になにかしてあげること? それとも人に なにもしないこと?

なにかしてあげたとして、それが なんらかの見返りを期待したものだったら?
なにもしなかったとして、それが その人の ことを想ってのことだったら?


俺自身、ここ十数年くらい 言い方はそれぞれだけど、「あなたは やさしい」 という
言葉を掛けられる場面が 何度もあったように思う。
でも、その度に 心の中で「俺は やさしくなんかない」 って否定してきた。

俺は、やさしいんじゃなく、ただ 気をつかってるだけ・・・、相手に嫌な思いをさせたく
ない、その人に良く思われたいっていう気持ちが強いだけなんだって 自分自身 理解
してるから・・・人に気をつかい、嫌な思いをさせたくないのは、自分が傷つきたくない
っていうことの 裏返しなんだって思うんよ。

だから 俺は やさしいんじゃなくて 人より少し感情の起伏が穏やかな、ただの気遣い人間、臆病な人間だってこと。

本当に やさしい人は、誰かに 何かしてあげても見返りなんか求めてないし、時には
相手のためを思って、あえてなにもせず、それで、悪く思われることをいとわない人。
それらによる自分のマイナスを躊躇なく受け入れられる人なんじゃないかな?

俺は、自己紹介なんかで、 「俺は やさしいです」 「私は やさしい」です って
言う人は、最初から信用しないようにしてる(笑) だって やさしさもどきを アピール
してる時点で、自分のことを良く見せようってしてる人、自己愛の強い人だなって思っ
ちゃうもん。 俺の思ってる やさしさ とは 正反対の人種やん(笑)

特にネット上なんかの 自己アピールとかで、「やさしいですよ〜」なんて書いてある
男性なんか表面だけの奴だと思っちゃうw まあ、俺が男だから余計になんやけどネw


本当に やさしい人は きっと 自分の やさしさ に気付いてないと 思うんよね。


俺も、やさしい人になりたいって 日頃から想ってるけど、やっぱりダメ、自分が可愛いし
周囲の眼を意識してしまう。 それに、自分のマイナスが ここまでなら許せるっていう
基準を意識してしまう計算高い部分も持ち合わせてる。 やさしさとは ほど遠い。

最近では、ほんの少しでも やさしい気持ちで居られるようにするために、今より
もっともっと、幸せになってやろう って想ってます。幸せの容量が大きくなれば、人と
対したときの 自分のマイナス許容量も 少しは増えるような気がするから。
自分が幸せじゃないと、人の幸せを素直に願えないような ちっぽけな奴なんやもん。

こんな考え方 変かなぁ?  幸せの基準も 人それぞれだけどネ。



「やさしさ」のことで、最近 想ったことの一つに、争いの絶えない世界情勢があります。

世界中の 一人一人、 善人も、悪人も、政治家も、テロリストも、貧困に苦しんでる人も、裕福な人も、 すべての人が あとほんの少しづつ やさしくなれれば、そのやさしさのエネルギーは ものすごくって、少しでも 争いの少ない世の中のなるんじゃないかな?   
なんて 想像したりしてます。

やさしさ の定義は 今でも わからないけど、わからないなりに やさしくなりたい。
世界中のすべての人が 今よりも 幸せに、やさしい気持ちで生きていって欲しい。

そんなことを ぼお〜っと 考えてた 新年明けの 一日でした。

長々 と よくわかんない文章で 失礼、、、お互い いい1年になるといいね。

                                            いざね