いざね’s エッセイ      
 
         このページでは、「いざね」が日常 感じたことや、みなさんに伝えたいこと
       などを 手紙という形を借りて 書き綴っていきます。
       「君へ」の 君が 誰なのかは みなさんの想像に おまかせします

君への 手紙
         
         ※ おもいっきり 不定期に更新しています、思いだしたときにでも のぞいてみてください。
            このページだけは ちょっと濃い目でいきますね。
 
一つ後へ
一つ後へ
一つ前へ
一つ前へ

2005年06月15日
(11通目)

お久しぶりです。
また 筆不精全開で、3ヶ月ぶりの手紙 書いてます。  実は 今日、
ほんと久しぶりにある言葉が 心に引っ掛かったんで それを君に伝えたくてね。

 俺が、写真の専門学校へ通い始めたのは、君に 言ったっけ?
実は この4月から 夜間で写真の専門学校へ通ってる俺なんやけどね。


 今日の授業は、日頃 昼間の学生に教えてる先生が、夜間部で教えてくれる日。

 その先生の言葉

「君たちも 僕の十分の一でもいいから のめり込んでやってみなさいよ」


 たしか58歳だと言っておられた先生の口から発せられたこの言葉が、俺には 
ものすごくストレートに響いてきた。

 少なくとも、写真を学ぼうと 夜間に集まってる学生たち、それぞれが 
人一倍、写真に興味を持ち、昼間 働きながら 夜は写真を学んでいる。
そんな学生達へ対して 「僕の十分の一でも・・・」 という言葉は、いわば、

「君たちは、僕の十分の一も写真に対して のめり込んでないじゃないか!」

という 痛烈な叱咤 と俺には 受け取れた。

 この先生は、現在も プロの写真家として活躍されている方なんだけど、そんな 
プロ の 凄み というか 限りない自信 が そんな言葉に 重みを持たせてるんだろう。


 自分を振り返ったとき、 「俺は、ほんとうに のめり込んでるんだろうか?」
との疑問が頭をもたげた。

  学校に通ってる ということに安心してしまっていないだろうか?

  ほんとうの意味で、写真が好きなのだろうか?

  この道で 生きていく 覚悟は あるのか?


        そんな 想い。



 どんな道でも その道のプロとして 長年生きてきた人の言葉には 重みがある。

 写真に限らず、それが サラリーマンであったとしても 長年、その道一筋で
生きてきた人の言葉には、その道を極めた職人の それに似た 感覚が芽生える
ものなんだろう と 俺は想う。


 今まで、俺は ほんとうに のめり込んで 仕事をしてきていないように想ってる。
どこか冷めた自分がいたし、生活のため という言い訳で、自分を殺しながら生きてきたと。
 そんな年月のおかげで 今の自分がいる という 自負もあるけど、今の自分がほんとうの自分だという 自信は 持てていない現状・・・

そんな現状を打破しようと 暗中模索している 今の自分。


そして今日、

あくまでも 穏やかな口調で言い放たれた
 
「僕の十分の一でも のめり込んでみなさい」

という言葉が 俺の中に なにかを芽生えさせてくれたような気がする。


「もうちょっと、のめり込める自分になろう」 そんな感じかな?
もっとも、臆病な俺は、のめり込んでしまうことが とても怖いことなんだけど(笑)


それでも、 もっと、もっと、真剣に 生きてみよう と 想うんだ。
それが どんな道なのかは、いまだ解からないままなんだけどね。


君は、なにかに のめり込めてるかな? 真剣に生きてる って 胸を張れる?

また今度 聞かせてください。 なんか一晩中 語り合えそうな テーマだね(笑)


また、手紙 書きます。   次も 気分次第だけどね

                                          いざね